神的おばあちゃん

友人たちと別々の暖簾をくぐり、私はひとり銭湯の女湯脱衣所へ足を踏み入れた。早朝およそ6:30前頃。それでも扉の向こうの風呂場を見やれば、地元の人々と見られるおばあ様方が3人ほど湯舟に浸かっていた。

脱衣所の茣蓙が敷かれた大きなボックス型になっているベンチに、おばあちゃんが一人座っていた。お風呂上りなのであろう、髪の毛は濡れており、うちわでパタパタと顔をあおいでいた。推定70代中盤ぐらいであろうか、私はこういう年齢あてゲームにめっぽう弱い。

なんとなく会釈をして、おもむろに15番のロッカーを開け荷物をいそいそと入れていると、おばあちゃんが話しかけてきた。

 「今日はいい天気になりそうやねえ?」
 「そうですね、いまも綺麗に晴れてましたよ。」
と無難な会話を交わし、会社帰り、オフィスカジュアルのまま遊んでいたため、シャツボタンに手をかけたとき、会話がまた再開した。

 「あんた、いま幸せなんか?」
突然すぎる質問、内容も内容なので宗教勧誘か?と訝しげな気持ちになりながらも
 「まあ、ぼちぼち」と答えた。
 「あんた、何歳なの、へえ、24歳。まだ若いじゃない。私なんかよりも全然若いよ。幸せか?いま幸せに暮らしてるんか?自分の生活が幸せかどうかを決めるのは自分自身だよ。」と続いた。
 「友達となんかがあった、恋人と別れた、なんて言って『私は捨てられたんだわ』なんて思わなくていいわけ。『私にはもっといい人がいるんだわ』と思って過ごすのが一番。自分の気持ちが、自分が幸せかどうかを決めるんやから。『お前なんか~』って言われても気にしなきゃいいわけ。わかる?今日家に帰ったら、このことについて考えてみるといいよ。」と言い、すっくと立ちあがり、ほな、と片手をあげておばあちゃんはいなくなった。

あまりにも突然の説法、しかし今まで接客業をしたりとりあえず人当りよく対応することができたりするため、うんうん、と聴き、ありがとうございました。とお辞儀をし、おばあさまを見送ったわけだが。いやしかし、あまりにもタイムリーな説法で少し面食らってしまった。昨今人間関係やら恋愛やら幸せやらについて考えては落ち込んだり途方にくれたり虚無感に襲われて離人的な感覚に陥って不安になったり、自分ってかなりくだらないことを考えているのでは?と自責したりしていたからだ。

おばあちゃんがいなくなり、服を脱いで風呂場へ移り、身体を洗いながら、現実ではあるけれど夢でも見ていたかのような謎のお話を、睡眠およそ3時間のためまだ起ききれていない脳みそでやんわり反芻した。露天風呂へ移動すると外気がひんやり身体にあたり、お湯の暖かさがちょうどよかった。備え付けのテレビを見ると7:04だった。
不思議なおばあちゃんだったなあ、と思いつつ、言っていることはかなり的を射ていると。善意だろうが悪意だろうが、結局は自分の解釈次第で決まるのだし、正当性バイアスではないが、何かとポジティブな理由をつけて自分へ落とし込んでいくほうがよい。

それにしても、あのおばあちゃんは何者だったのだろうか。私の顔が暗かったのだろうか?それともなんとなく説法を説きたい気分だったのだろうか?これに関してはおばあちゃんしかわからないことだが。占い師は誰にでも当てはまるようなことをさも相談相手をよくわかっているように話す話術に長けているようで、それは日常生活でも起こることであるし、人間の悩みのほとんどは人間関係についてとアドラー心理学でもよく言われるので、私にだけ特別響く、というわけではないだろう。しかし早朝であること、たまたま脱衣所に二人きりだったこともあり、少し面白い小さな神様に会ったような気持ちになった。

風呂から上がり、一通りのスキンケア等を済ませて脱衣所を出ると、まだ友人たちは風呂を出ていなかった。柔らかいソファにぽつんと体育座りでおさまっていると、テレビの音量もちょうどよく、眠気が襲ってきた。友達を待っていてこの後は3人で喫茶店へ行くという予定があり、私はふわふわのソファでうとうとでき、外は快晴で、お風呂に入ってさっぱりもでき、このうとうとを過ぎればきっとコーヒー牛乳を飲むんだ、などと考えた。小さいことではあるが、これは幸せ。いま幸せだなと感じた。