マウスが見当たらない

といったタイトルで以前記事を書いたことがあるような気もするが、己の中で組み立てられた嘘かもしれない。

 

別に特段なにかを書きたいと思ったわけでもないが、なんとなくこの時間、しかも明日仕事がいつも通りあるというのに、パソコンの電源を入れて、キーボードを叩きはじめてしまった。

 

最近、夜中どころか明朝、日がうっすら昇り始めた頃に床に就く日が週に一度はあり、それは別に不眠であるとか不穏であるとかそういった類のものではないが、酒のおかげでぼわぼわとした脳みそと疲労しきった肉体をベッドに横たわらせることで強制終了させる。心地いいときもあれば、ひどく吐き気を感じることもあり、アルコールのせいではあるが、どちらにせよ次の日の一日を、予定がない限りは大体溶かしてしまう。

 

若干もったいないなと思いつつも、起きた隙間時間で好きな動画をあさり、ご飯をむさぼり、ただただ身体を横にするだけの一日というのは、かなり贅沢に休んでいるという実感が得られる。悪くはないと最近やっと思えるようになった。が、次の日は意外と寝すぎでしんどかったりもする。年を重ねてきた証拠かもしれない。

 

坂を新しく買ったばかりの厚底サンダルで登り、一人でくるくるとそのあたりを回り、用が済んだらさっさといつものカフェへ身をすべらせ、優雅にガムシロップを多めに入れてもらう甘ったるいカフェオレを飲むのはまた一興である。一人で時間を自分に使うことに今日日慣れてきたところだ。それがいいかどうかは正直わからないが。振り返れば人とのつながりというのを渇望しすぎた一年であった。

 

ここ数日間、人とのやりとり、出来事を通し、自分の考えを他人に向けて言語化したり考えたりした結果、ヤマアラシのジレンマ的な、杞憂的な考えを多くしてしまっていることに気づいた。まあ大体の人間関係の内在的な悩みの根源というのは最終的に自分の捉え方によるものだが、それをハッキリと明確に自覚できたような気もする。と言いつつ今後も悩みそうな気はするが、現時点での考え方はこうである。自分の考え方を補強するなり軌道修正するために本を読み漁りたい気分。そう思ったらなんでもどうでもよく、面白おかしく思えてきた。吐き出した言葉は確かに変えられないが、自分の筋と義理を通して折り合いをつけつつも、もう好きなように生きるしかない。距離が近すぎたのだ、なんでも。

 

☆☆☆

 

部屋が汚い。

小さな横長のスペースに対し、ものが溢れすぎている、否、溢れてもいないが、雑然としすぎている。いっそのことすべて捨ててしまいたい。

 

よくして頂いている方に断捨離を勧められ、System Of A Downをかけたり、Slayerをかけたりしながら断捨離に何度も挑んだが、なかなか物が捨てられないというか、捨てているはずなのに体感的に全くなにも減っていないのである。なぜだろうか。自分でもよくわかっていない。

 

断捨離を何度か決行して気づいたことは、言われてみればすべていらないし、言われてみたらすべて必要なのである。インスタグラムで見計らったように時折流れてくる「ホテルライク」な家というのは、到底なれそうもない。かといってなりたいかと言われると、少し違うような気がしないでもない。とりあえずわかることは、床にものをおかないようにしたほうがよい、ということだ。

 

☆☆☆

 

ほくろが増えつづけている。ほとんど毎日化粧をするために鏡に向かうが、自分の顔面のほくろの数はまあ正直数えてはいない。が、それにしても「こんなところにほくろあったっけ」と思うようなものが明らかにある。短歌のセルフライナーノーツにも書いた

 

tokorogadokkoinameko351.hatenablog.com

 

が、私はほくろがコンプレックスのひとつだ。口の下と目の下にもできたのでそれはまあ嬉しいかな。

 

☆☆☆

 

汗で張り付いたTシャツをうっとおしく思いつつもどうすることもできず、家でPCモニターとにらめっこ、お得意のブラインドタッチでもってキーボードをカタカタと打ち続けた。部屋はついに摂氏34度を超え、人肌にも近い温度感で仕事をするというのは非常に酷であり、何かしらの拷問でも受けているような気分すらあった。しびれを切らしついにTシャツすら脱ぎ捨て、誰も見ていないのをいいことに好き放題していたが、生命の危機を感じ、「暑い、暑い」といつぞやの寝言のように呟きながら、合間をみてリモートコントローラーを探した。危うく熱中症で命を落とす老婆になるところであった。3時間ほどかけてやっとラックの下からリモコンとの再会を果たし、私は一命をとりとめることとなる。

 

☆☆☆